writer
Eri Eguchi
『アフリカで、バッグの会社はじめました』
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目次と、本文のイントロダクションと、第1章を丸ごと公開します。5-10分で読み切れます。
『アフリカで、バッグの会社はじめました――“寄り道多め”仲本千津の進んできた道』 江口絵理・著
もくじ
はじめに
第1章 社会起業家、仲本千津
第2章 「私、国連で働く!」
第3章 銀行からアフリカ支援NGOへ
第4章 起業
第5章 おかあちゃん百貨店飛び込み営業事件
第6章 原石が宝石に変わるとき
第7章 罪深きファッション産業
第8章 ウガンダのためにも、日本のためにも
第9章 救えなかった命
第10章 夢見る力
第11章 平和をつくるバッグ
おわりに
タタタタ、タタタタタタ! タタタタタ!
小気味よいリズムでミシンの音が響いてきます。ここはアフリカの小さな国、ウガンダ。赤道直下の日差しは強いけれど空気はカラリと心地よく、空は青く澄み切っています。
ミシンの音とともに、女性の笑い声と、おしゃべりする声が聞こえてきました。ミシンを使っているのはウガンダ人の女性たち。8人がそれぞれのミシン台の前に座り、色鮮やかな布でバッグを縫っています。
奥の部屋から、ロングヘアの小柄な日本人女性が出てきました。アフリカの人からすると、まだ「お嬢さん」と呼ばれそうな年ごろにも見えるこの人は、仲本千津さん。この工房の経営者です。
ここで作っているバッグは日本で大人気。販売したとたんに売り切れる品も出るほどで、工房はいつもフル稼働です。ただ、千津さんがこの工房をつくったのはビジネスでお金持ちになるためではありません。
千津さんが心に秘めているのは、「人の命を救いたい」という気持ちです。
え? と思う人もいるかもしれません。
人の命を救いたいからお医者さんになった、ということならばわかります。戦争で亡くなる命をなくしたいから国連で働くことにした、というのならそれもわかります。貧困が原因で失われる命を救いたいから貧困者支援のNGOに入った、というのもわかります。
ところが、千津さんが選んだ道は「社会起業家」でした。貧困や格差 、差別や戦争、環境破壊や温暖化、心の病や家族のこと――社会にはさまざまな問題があり、苦しんでいる人がいます。もしかしたら、あなた自身もその問題に苦しめられているかもしれません。そのような、社会のあり方が原因で生まれる問題を、アイデアとビジネスで解決しようとするのが「社会起業家」です。
「そんな職業があるんだ!」と、びっくりした人もいるかもしれません。
起業? アフリカで? ビジネスに失敗したらどうするの? アフリカのような遠くて危険な場所に女性がひとりで行くなんて……、私は(僕は)起業できるほど優秀じゃないし……と、遠い世界のことのように思う人もいるかもしれません。
千津さんも、中学生や高校生のころには、いつか自分が社会起業家になるとは思ってもいませんでした。やりたいことに出会ったらいつも素直に「やりたい!」と口に出し、壁にぶつかったり進路を変えたりするにつれて、少しずつ夢が形になっていったのです。
そして千津さんはいま、ウガンダの光あふれる素朴な工房と、日本の洗練されたショップや百貨店を行き来する毎日を送っています。
第1章 社会起業家、仲本千津
都心の一等地にそびえる百貨店。大きな交差点に面したショーウィンドウには世界的なハイブランドのファッションが並び、百貨店の顔と言われる1階フロアには、厳しい目でえりすぐられた質の高い商品がライトを浴びて誇らしげに輝いています。
なかに入ると、ひときわカラフルな商品が並ぶ一角が見えてきました。千津さんの立ち上げたブランド「RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)」のコーナーです。
鮮やかな赤やオレンジ、目の覚めるようなブルーに黄色。花柄にサークル模様に、ツバメやキリンなどの動物柄、ストライプやギザギザ模様。遊びごころあふれる布で作られたバッグが、ところせましと並んでいます。大胆な原色ばかりなのになぜか品があって、百貨店に並んでいてもまったく違和感がありません。
色とりどりのこの布は、「アフリカンプリント」と呼ばれる綿の布です。千津さんはウガンダの工房で現地の女性たちを雇い、アフリカンプリントでバッグや小物、洋服を作って日本で販売しています。
作っているのは主にシングルマザーの女性たち。日本でもシングルマザーが子育てをしながら働きつづけるのは簡単なことではありませんが、ウガンダもまったく同じです。男性に比べると、安定した収入を得られる仕事につくのはずっと難しく、家族全員で一個のパンをかじるような生活だったり、子どもが進学できなかったり。
でもそんな女性たちも、なんとか手に職をつけて、自力で生活していこうとしています。千津さんはそうしたシングルマザーの女性たちとともに、このブランドを立ち上げました。
「でも、『かわいそうな人たちのために、慈善活動だと思って買ってください』というビジネスをするつもりは最初からありませんでした。日本の人に、純粋に『このバッグすてき!』『これがほしい!』と思ってもらえるようなものを作って、そのうえで、バッグを作った人にも思いをはせてもらえるような形をつくろう、と思って始めました」
千津さんは自分自身もお店に立って販売しながら、興味をしめしてくれたお客さんに、リッチーエブリデイについて説明します。
リッチーエブリデイは創業してすぐに百貨店やメディアから注目され、いまも毎年のように前の年を上回る成長をしています。創業者の千津さんも、テレビや雑誌、ウェブメディアからひっきりなしに取材依頼が舞いこむ、大注目の社会起業家です。
でも実は、千津さんが小学生のころになりたかったのは医師でした。26歳になるまで、アフリカに行ったこともなく、海外留学の経験もなく、ファッションブランドの社員だったこともありませんでした。初めてアフリカに渡ったとき、仕立ての技術をもったシングルマザーなんて、知り合いにひとりもいませんでした。
そんな千津さんが、どうしてこのビジネスを立ち上げることになったのでしょう? 千津さんの子ども時代にさかのぼってみましょう。